ようこそ!茨城県鹿児島県人会へ!

愛する故郷 鹿児島の精神を以って、大好きな茨城の発信 発展に貢献する

コスモ綜合建設応接室にて

    茨城県鹿児島県人会は、
    文字どおり、茨城県在住の鹿児島出身者はもとより、
    ご両親が鹿児島のご出身だったり、学生時代を鹿児島で過ごされたり、歴史や文化を通して鹿児島が大好きだったり
    そんな「鹿児島にゆかりのある」人たちが集まって作った団体です。
    今日まで会員数の増減はあるものの、おかげさまで今年で創立40周年を迎えます。
    茨城県内にある県人会の中では、一番"活動的"だと自負しております。
    当初は県内各地のあちらこちらの企業に点在する、鹿児島出身者の集まりでしたが、
    鹿児島県人会として活動しよう!という気運が高まり。。。そこから2年間かかりましたが、諸先輩方が知恵を絞り、組織として成り立つための礎を築き、「茨城県在住 鹿児島県人会」が発足しました。
    県人会の活動では、故郷鹿児島を通して、遠く離れた茨城で得た新たなご縁とともに、
    知らなかった茨城の文化や歴史に触れ、意外なところで鹿児島と茨城のつながりを知る事になるなど、
    自分自身の成長はもちろんですが、大好きな茨城の発展に貢献するための知恵をいただいてまいりました。
    そして、なんといっても “故郷の響きを懐かしむ”
    それが我々カゴンマんシの原動力になっているのではないでしょうか。

心の中にある 雄大な桜島のある風景は時代も世代も超える

    不思議なもので、「鹿児島出身」と聞くと、なぜかシンパシーを感じます。
    そして私たちの故郷、鹿児島はなかなかに広大な地域ですが、桜島が見える地域でも、そうでなくても、あの桜島の力強さと雄大な姿が思い浮かびます。
    私の故郷は種子島です。
    社会人になってとにかくがむしゃらに働いていた頃に、故郷を思う余裕なんてなかった。
    それでも故郷種子島への帰省で利用するトッピー(高速船フェリー)の中から、いつも桜島を見上げていた事を覚えています。。私と同じく帰省する人も、観光客も、錦江湾を出るまで桜島を眺めていました。
    今思えば、故郷の遠さも、若さゆえの社会へのつらさも、桜島の姿に励まされていたのかもしれません。
    それは時代や世代にかかわらず、鹿児島にゆかりのある人たちの心に根付いていると思うのです。
    最近は、コロナウイルスの影響で、活動も下火になっておりましたが、その様な中でも新たな若い世代の会員が増えてくれました。
    先人たちの築いた活動を継承しつつ、
    この活動を次世代にどうつなげていくか、
    この40周年はまさにそんな節目にあたるのだと感じています。

敬天愛人 偉人の言葉にもある“利他の精神” を活動の真髄に

西郷隆盛の名言の中でも特に有名な「敬天愛人」のフレーズが出てくるこの言葉は、
私たちの育った鹿児島人の中に特に息づいていると思っています。
茨城県鹿児島県人会の活動を通して、大切にしたいことは、
己の事ではなく、周りの方々や、大好きな茨城にどのように貢献していくか、
この様なご時世ではありますが、常に前向きな気持ちで臨んで行きたいと思っています。

人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、学問の道は敬天愛人(天を敬い人を愛する)を目的とし、自分の修養には、つねに己れに克つことを心がけねばならない。
己れに克つための極意は、論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(主観だけで判断しない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。

コスモ綜合建設応接室にて(2022/05/18)

運営委員会

役 職 氏名
顧 問 川村 俊彦貴島 光彦谷口 正俊
小野 昭夫
会 長 池田 勇夫
副会長 樋之口 英嗣
(県北)
本戸 正美
(県西)
中住 善隆
(県南)
伊東 昭良
(鹿行)
中村 進祐
(日製)
園田 東
(県央)
幹事長 小永吉 弘
副幹事長 川畑 清作 野上 均
幹 事 池田 徳光
小倉 建
砂坂 善成
富澤 美智子
仲野谷 節子
深町 純二
打越 幹雄
上集 和人
高野 伊左子
豊田 一雄
西村 丹子
松下 正次
沖田 純二
清水 雄喜
立野 誠也
永田 昭文
日高 正仁
松廣 真紀
事務局 谷口 隆幸秋山 曜子岡田 美智子
会計監査 西村 豊美前田 俊郎